読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Enjoy A New Island

ボーイミーツガールを研究するブログのような何か

夜は短し歩けよ乙女をボーイミーツガール的に分析する

はじめに

本作『夜は短し歩けよ乙女』は山本周五郎賞を受賞し、また本屋大賞2位にも選ばれた作品である。

そして、最近になって映画化され注目を浴びている。

そんな時期にこうして映画版ではなく原作小説のほうをボーイミーツガールとして論じるのはいささかずれていると思えなくもないが、やってみたいという気持ちが勝った。

映画の感想やレビューといった記事は他の方にお任せして、本記事では小説のほうをボーイミーツガール的に分析してみようと思う。

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

 

ボーイミーツミーツミーツミーツガール

本作は「先輩」と「黒髪の乙女」のボーイミーツガールファンタジーである。

連作短編であり、全四章からなる物語であるから、ちょうど第一章を起、第二章を承、第三章を転、第四章を結と当てはめられる。

大枠で見ると「先輩」と「黒髪の乙女」のボーイミーツガールとして読むことができる。

だが、ボーイミーツガールとしてはおかしな構造をしている。

ここで僕なりのボーイミーツガールの定義を述べさせていただくと、ボーイミーツガールとは「二人が出会い物語が始まり、イベントをこなすことで、信頼関係を構築する物語」なのである。

詳しくは以前書いた記事をご覧いただきたい。

boymeetsgirl.hatenadiary.com

しかし本作はこの定義からは外れてしまう。

二人が出会わない状態で物語が始まり、それぞれに出来事が発生しながら話が展開されていくのである。

第一章では黒髪の乙女が夜の先斗町に繰り出すのを先輩が追いかけるところから物語が始まるが、二人が出会うのは話の最後の最後である。

それまで二人はそれぞれの出来事をこなし、終わりごろになってようやく黒髪の乙女の前に先輩が何とかたどり着く。

出会いが発生した、二人の物語が始まる、さあ、互いに手を取りこれから始まるイベントを一緒にこなそうではないか! 

……とはいかないのである。

では、二人の関係性に変化はなかったのか?

その答えはノーだ。

黒髪の乙女は名前すら知らなかった先輩のことを、今度会うときは名前を覚えておこうと言っている。

黒髪の乙女から先輩への意識はちょっとだけ変化しているのである。

つまり、先輩の行動は無駄ではなかったのだ。 

ちなみに先輩が黒髪の乙女に抱いている感情は最初から一目惚れ状態であるから、本作の関係性の変化とは主に黒髪の乙女→先輩のことを指す。

 

第二章は古本市に繰り出した黒髪の乙女を先輩が探し求めるというものだ。

要は第一章と同じく二人が出会わないまま物語が始まっていく。

そしてこれまた前章と同じように終盤になって二人は出会うのである。

『ラ・タ・タ・タム』を手に取ろうとする二人、そこで先輩は黒髪の乙女に本を譲って去る。 

ここで黒髪の乙女は先輩に親切な人だなあ的印象(本文中からそのまま抜き出すなら紳士的印象)を抱く。

先輩、あなたの行動は黒髪の乙女に好意的に映ったのだ。

その後、今度は黒髪の乙女が本を買おうとして金が足りない先輩にお金を貸す。

それから二人は椅子に座って会話をする。

第一章ではろくに会話をすることのなかった二人がここにきてまともに言葉を交わすのである。

よくやった、先輩。

この章でも関係性は向上している。

 

第三章に移る。

この章でわかることだが、先輩はナカメ作戦(なるべく彼女の目にとまる作戦)と称して黒髪の乙女と偶然の出会いを幾度となく果たしているのだ。

涙ぐましい努力である。

さて、この章は学園祭に繰り出した黒髪の乙女を先輩が探し求めるというものだ。

要は前章、前々章と同じく二人が出会わないまま物語が始まっていく。

そしてこれまた同じように終盤になって二人は出会うのである。

この出会いで二人は偏屈王を共に演じ抱き合う。

先輩は黒髪の乙女をその腕の中に抱いたのだ。

先輩→黒髪の乙女に対する意識は言わずもがな、黒髪の乙女→先輩の意識の変化も後述するが第四章で書かれているように少なからず好意的なのである。

全四章の中の第三章という起承転結の転にふさわしい大きな関係性の変化がこの章では見られる。

 

物語はいよいよ最終章に入る。

第三章の偏屈王抱擁というイベントによって黒髪の乙女は先輩に抱かれたときのこと(いわゆるハグのほうである、勘違いしないように)を思い出してはボーッとなったあとそわそわする気持ちを持て余すようになっている。

これは読者から見れば恋愛感情なのでは、という想像がつく。

黒髪の乙女陥落の時は近い。

やがて、二人は竜巻の中最後の奇遇な出会いを果たす。

そして、先輩はついに黒髪の乙女と二人きりでの約束を取り付けることに成功する。

よくやった、先輩。本当によくやった。

 

全四章からなるこの物語をボーイミーツガール的な視点から分析すると、本作の独特な構造に気づくのではないだろうか。

そう、本作にとって「出会い」とは二人の関係性を変化させるイベントとして機能しているのだ。

出会いがあってそのあとにイベントが起こるのではなく、出会い自体がイベントなのである。

本作は「出来事が発生し、それに巻き込まれることで二人が出会い(これが関係性変化イベントになる)、信頼関係を構築する物語」 だ。

こうした物語である以上出会いは必然的に複数回行われる。

言葉にするなら「ボーイミーツミーツミーツミーツガール」とでも称されるのではないだろうか。

従来のボーイミーツガールが「出会いから始まる物語」とすれば、本作の各章は言うなれば「出会いで終わる物語」だ。

これこそが本作が通常のボーイミーツガールと一線を画す点である。

であるからして、二人の出会いから始まらないのではボーイミーツガールと言えないのでは、という意見が挙がるかもしれない。

しかし、これが面白いことに各章ごとではなく全体的に見るとちゃんと出会いから始まる物語になっているのである。

確かに各章ごとに分割してみれば、「出来事に巻き込まれながら最終的に二人が出会って信頼関係を構築して終わる物語」なのに対し、各章を一つなぎにしてみると「二人が出会い、発生したイベントをこなすことで信頼関係を構築する物語」として読めるのだ。

つまり何が言いたいかというと、本作はボーイミーツガールとして独特な構造をなしていながらもちゃんとボーイミーツガールの型にはまっており、ボーイミーツガールの三要件を満たしたボーイミーツガールであるということだ。

 

おわりに

出会いとはファーストコンタクトの1回のみであるという考えを捨て去り、出会いを関係性変化イベントとして複数回用いることで新たなボーイミーツガールの形を提示した本作『夜は短し歩けよ乙女』。

僕は今まで出会いとは最初の1回だけ、つまり起承転結の起にしか配置することができないと思っていた。

しかし、その考えは間違っていたのだ。

本作のように出会いは起承転結のどこに入れてもいいのである。

話の変わり目に出会いを入れる、話の締めに出会いを入れる。

出会いとは自由なピースなのである。

そのことに気づかさせてくれたという意味で本作を分析したことは有意義な経験であったと言える。

自ら掲げたボーイミーツガールの定義を見直す時が早くも来たのかもしれないな、と思ったそんな夜であった。

 

 

 

余談だが、「荒野を歩け」はなかなかの名曲だと思う。

まだ聞いたことないという方は一度聞いてみよう。

youtu.be